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いあ、いあ、はすたあ! くふあやく、ぶるぐとむ、ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ!
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 幼少期の僕が、同年代の人間との接触が極端に少ないタイプの子どもであったことは
以前にも何度か触れたと思う。

ただ、どういうわけか社会性に乏しい割には
その場の成り行きあるいはのっぴきならない事情で
不必要な注目を浴びるような場に出ざるを得ないようなことが多かったような気もする。

まあそれは単に、両親をはじめとする周囲の大人たちが
そうなるよう仕組んだ結果なのだけれどね。
いや、もしかすると王都で生まれ育つ者は皆そういう育てられ方をして、
だからこそ僕は西部へ移った際の急激な環境の変化に
戸惑いを隠せなかったのかもしれない。

ともあれ、不幸なことに当時の僕という人間は
今に輪をかけてマイペースでものぐさでこらえ性がなく
他人の都合や思惑なんて察するどころか存在すら眼中にない
いわば天然モノかつ天変地異クラスの超絶KYだったため、
そういった周囲の人間たちによってシワ一つなく広げられた大風呂敷に応えることはおろか
土足で踏みにじった挙句破いた切れ端で鼻をかんで捨てるような暴挙を
これっぽちも悪びれることなく全くの無自覚にやってのけるわけで、
当然のごとく僕の周りにはいつだってお小言が絶えなかった。

あれは確か、高架下にあるまるで新興宗教の聖堂か何かのような佇まいの
ピアノのスクールに通っていた頃だったか。

ちょうど発表会が間近に迫っていて、
各クラスから歳の順だか何だかで選ばれ集められた僕らは
合同練習と称してホールの裏を貸し切りリハーサルを繰り返していたと思う。

ろくに顔合わせもしちゃいない僕らのピアノ部隊以外にも
エレクトーンやらドでかい弦楽器やら
よく分からない形のヘンテコな楽器やらが集まっていたから、
案外ただの発表会なんてスケールじゃなかったのかもしれないけどね。

今さら言うまでもないが、
僕はこういったお稽古事がどれもこれも嫌で嫌で仕方がなかった。
そもそも反復を伴う練習や訓練といったものが生まれつき大嫌いなのだよ。

いや、誤解なきよう付け加えておくけれど、
同じルーティンワークでも勉強や絵画やジグソーパズルのように
試行錯誤しながら少しづつ何かを積み重ねる「作業」のようなものに関しては
それほど苦にならない。

ただ、自分の中での必要性が確立されていない状態で
「練習」という名目の元に言われるがまま同じ事を繰り返すというのが
どうにもこうにも我慢がならなくっていけない。
必要性を感じたなら言われなくても自分からやるし、
分からないことがあれば自分から聞くし。
つまり今のままでもう十分満足してるから何度もやらせないでよ、って話。

でまあ、その日も僕は毛先ほどの面白みも感じない憂鬱な時間を過ごしていた。
それはもう退屈なんて生易しいもんじゃなく、
前足と後足が骨折してそれでも鞭でしばかれながら荷車を引くロバのような心境。
ちなみに老婆にあらず。ばばあっていうな。

所詮子どもが主役とはいえ、何しろそこは本番を数日後に控えたリハーサル室。
千代に八千代に苔の生すまで変わることなく僕が一番苦手なものの一つである
集団意識のピリピリした空気が当社比1.5倍のヘクトパスカルで押し込められていたのだよ。
もしそんな環境にレベル5の真性KY変異体を放り込んだら一体どういうことが起こるかなんて
いちいち説明するまでもないだろう。

先述したように件の演奏は僕らピアノ部隊だけのものではない。
合奏としての性格が強く、それゆえに当然自分が全く音を出さない時間も結構ある。
音を出さない時間と言うのは、すなわち音を出してはいけない時間でもあるわけで、
音を出してはいけない時間に音を出すことは、音を出す時間に音を出さないことよりも
往々にして致命的に音色を乱すことが多い。

そしてKYというのは、
致命的なところで致命的なことを致命的なクオリティでやってのける
自動発動型の能力者のことを言う。

つまるところ要するに、僕は弾いたわけだ。弾くべきじゃないところで。
五線の真ん中あたりに黒くて小さい横長の長方形がぽつんと置いてある部分で。

「自分のパートはもうやることないから
不甲斐ないあんたたちの分もついでに練習してるんですよ」
とでも言わんばかりの仏頂面で。

まあ、もし本当にそうだったとしたならいかにも厨二っぽくて格好いいんだけど、
もちろん実は全然そんなことなくてね。

いいかげん疲れてるんです、集中力の限界なんです、
もう半分以上意識がこっちの世界にないんです。

普段から楽譜をほとんど見てないからいつか絶対やるだろーなとは思ってたんです。
そもそもそんなに楽譜読むの得意じゃないってか
こちとら普段から先生や母親の見よう見まねでしかやってないんですよ。
3歳の頃からずうーっとそうやって覚えてきたんですよ。

つっかえても間違えても、がむしゃらに
全然ピアノとか関係ない部分まで耳コピでボロンボロン弾きまくる僕に、
指揮者や演奏者、ちらほらと見学に来ている保護者達の視線が
吸い寄せられるように集まってくる。

みなさん、その眼に映る世界の色は何でしたか?
僕には白と黒しか見えません。自分の鍵盤しか見てないからね。

ちなみにかなり長いこと弾いていた、譜面にすると1ページぶんくらい。
その間僕は、今日はやたらとミスタッチが多いなあくらいにしか思ってなかった。
これはおかしいぞと我に返った時にはもう手遅れ。

戦時徴兵を受けた体中の血液が首から上に殺到する中、
僕ともあろうものが公衆の面前で思わず両手で自分の顔を覆うという
悶絶憤死的愚行を犯す羽目になったわけだ。

脳裏に過ぎるのは、かつて他愛もない恥を晒したクラスメイトが
両手で必死に自分の顔面を隠していたこと。

その子だけじゃない、多くの人間が同じように振舞う姿を見てきた。
羞恥を感じた時の流行りなのか、他に何か理由でもあるのか、
いずれにせよ僕はその不様さを胸中で嘲笑い、
いかなる羞恥を受けようとも自分は顔を覆ったりなどするものかと
何度も誓った。何度も、何度もだ・・・。

・・・畜生ッ!!!!!!!!!

僕だけは! 絶対に! あんな醜態は晒すものかと!!
思っていたんだ、思っていたのにッ!!!
糞がッ! 糞がッッッ!!!


それは、むかしむかしのお話。

むかしむかしの、小さな小さな黒歴史のお話。
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 あれはまだ僕が祖父母の家に入り浸って本ばかり読んでいた頃。
とりわけお気に入りというほどでもないけれど、
独特の色彩の強さで嫌に印象に残る絵本があった。

内容は確か、文字を覚えたイモムシ達が次第に意味のある言葉を紡いでいく、
うろ覚えだけれど、そんな感じのストーリーだったと思う。

それ自体はいいんだ。
指でつついたらむにむにしてそうなイモムシが、
ころころと楽しげに文字を組み合わせる様子なんて
ジグソーパズルみたいで面白いと思ってた。

ただ、そんな風にして自由に言葉を作って遊んでいるところへ、
物語の後半で、ひょっこり出てきた誰かさんが言ったんだ。
「もっとためになる言葉を作ってみんなに伝えなさい」
って。

まあその言葉ってのがまさしく絵に描いたような世界平和を掲げるスローガンで、
作者の思想や時代背景みたいなものも深く関わってるんだろうけどね。
ただ、僕はどうしてか、いつまでもどこまでも
その助言をしたキャラクターが気持ち悪くて、腹立たしくて、
ちっとも好きになれなかった。

いや、待って、違うのさ。
ステレオタイプの平和主義に対して虫が好かないっていう意味じゃない。
それは相談を持ちかけた周囲の大人たちにも
大いに誤解されたところではあるけれど。

むしろ戦争反対は大いに歓迎。
なんたって当時の僕ときたらテレビの原爆特集を見て
向こう数日間不安で夜も寝付けなくなるなんていう
今からすると考えられないくらい頭と心の弱い子だったから。

そうじゃなくて、そのとき僕が嫌だなーと思ったのは、
ただ単に「もっとためになる言葉」を作るよう促すことが、
すなわちそれまでイモムシ達がやっていた勝手気ままな言葉作りを楽しむことへの
否定のように感じられたからさ。

無駄なことや自分勝手なことは、
そんなに悪いことなのかなって。

考えてみれば僕はそんな子供の頃から、
知識や力をもとにしてそれを何かに役立てようっていう思考パターンを
お気に入りの絵本と一緒にタンスの裏にでも
落っことしてきてしまったみたいなタイプだったわけだ。

それよりもむしろ、先に何かしたいことがあって
そのために何が必要でどうしたらそれが得られるかを考える方が
遥かに分かりやすくてやり甲斐があってエキサイティングだった。

だけどそれでいて、僕の欲求はとてもとても小さくて、
目標を立てるにはあまりにも自我が薄弱で、
少しでも手に入りそうにないものは
いつだって「いらないや別に」で済ませてばかり。
空っぽのくせに頭でっかちで机上の空論ばっか上手くなっていく。

だからなのかどうなのか、
昔っから自我が強くて理想を体現できる人に憧れる。
これまでにも何人か目にしてきたけれど、
彼らはいつだってエネルギッシュで、新しいものに目がなくて、
竜巻みたいに辺りのものを手当たり次第に巻き込んでいく。
時にはそんな彼らの力になりたくて
かっこ悪いの承知で無駄に肩肘張る時だって。

たまに僕自身がそういう存在だと言われることもあるけれど、
僕のこれはそういうのとは根本的に違ってて、
なんていうか上手く言えないけれど、違うんだ。全然。

あれ、結局何が言いたいんだったっけ。

ええと、とりあえず・・・好き勝手やらせろ?
違う・・・なんだっけ? あーもう。
 基本的にヒキコモリにとって住居とは極めて閉鎖的なもので
お天道様の下をドヤ顔で闊歩できる常人のそれよりも
隠れ家としての意味合いが強く、むしろアジトや秘密基地などと
呼ばれる類のものであることはもはや疑いの余地がない。

それゆえニート暦がそろそろ一年を過ぎようかという
陸海空魔界どこに出しても恥ずかしい完全無欠のヒキコモリである僕もまた
ご近所付き合いといったものとは
これっぽちも縁もゆかりもない生活を送っているわけだけれど、
ただ一人未だに肉の器を介したコミュニケーションを取りうる存在が
近所に居を構えていたりするのだよ。

別に僕自身が何らかの特別な感情を持っているとかそういうわけではなく、
単にかつて僕が王都に移り住んだ直後の数ヶ月、
挨拶がてらの二言三言を滞りなく交わす程度の能力を有していた頃に
いくらか道端で言葉をやりとりしたよしみに過ぎない。

というか、どちらかというと今の落ちぶれた姿を
あまり見られたくないという思いから
できることならなるだけ接触を避けたい部類に入る相手なのだけれど、
買出しの際に運悪く出くわすこともごく稀にある。

まあ、こんなことをわざわざ文にして書き起こしている時点で
それが紛れもない今日という日であったことは容易に想像がつくだろうがね。

人「こんにちわー」

僕「あ、どうもこんにちわー」

人「寒いねー」

僕「寒いんですよー、もう外出るの嫌になっちゃうくらいで」

人「なんか大丈夫? 痩せたみたいだけど」

コートを着ているというのにそんなことがよく分かるものだ(-ω-`
というか食事を一日二回に増やしたことで
実は一時期より少し肥えているくらいなのだけれど、
この人と最後に言葉を交わした時点よりは痩せている可能性もある。
ていうか多分そう。

僕「<Speach 25>(嘘)そうですか? ちょっと太ったくらいなんですけど。
.  まあ着やせするタイプなんでしょうかねー」→成功

人「まだ仕事はしてるの?

タブーである。

僕「<Speach 35>(嘘)ああ、最近また職場が変わりまして
.  といってもバイトなんですけどね」→成功

尚もSAN値を削るような問答は続く。

人「最近どこも大変だからねえ。
.  そういえば、住んでるのあそこの○○号室だったよね

僕「<Speach 38/50>あー、まあ、たぶん大体その辺り、
.  ・・・だったような気がします」→失敗

外出時に細心の注意を払っているつもりだったのだけれど、
やはり居場所はバレてたみたいだ、くそ(`ω´;;;

人「いやね、あそこの部屋って・・・
.  なんか最近夜遅くまで起きてるなあと思って」

ヤバイ!!! こぉれはヤバイ!!!
元々声が小さいので大丈夫なんじゃないかと希望的観測を抱いていたが、
全く漏れていないという確信があるわけじゃあない。
うちのアパートの壁が恐ろしく薄い可能性もあるのだ。
下手をすると今後配信ができない可能性も・・・。

僕「<Speach 35>(嘘)すみません、最近たまに夜中に友人と
.  電話してることがありまして。もしかして笑い声とか聞こえます?;」
.  →成功

人「いや声とかは全然聞こえないんだけど、
.  夜中じゅう電気がつきっ放しだからまぁだ起きてるのかなって」

セフセフ!⊂(^ω^;)⊃ セェーーーフ!!
やはりこの建物が通すのはよほど低い声だけのようだ。

僕「<Speach 25>(嘘)いやいや、ちゃんと寝てますよ。
.  明るい方が落ち着くし、防犯にもなるかなーって」→成功

人「最近怖いからねえ、でも電気代とか大変じゃない?」

僕「<Sience 50>暖房に比べれば微々たるものです。
.  実は冷房より暖房の方がずっと電気代かかるんですよー」→成功

人「ほんと、寒いからねえ」

僕「寒いですよねー、ああ、惣菜が溶けちゃうんでそろそろ入りますね
.  おつかれさまですー」

人「はいはい、またね」


・・・切り抜けた!!!(;ω;´
 僕はたぶん十派一絡げの人間に比べて、
人はどうあろうと自分だけは絶対にやっちゃいけませんっていう事柄が
無駄に多い性格なんじゃないかと思う。

いや、多いというよりズレているだけかもしんないけど。

そこはさておき、その僕の持つ歪んだタブーの中の一つが
自分の利害と無関係の他者を中傷することだったりするわけで、
つまり何が言いたいかというと、
例え社会的には悪と呼べる行為に手を染めていたとしても、
自分か自分に益をもたらす他者に直接的ないしは間接的な危害を
与えるでもない対象を叩くのはちょっと理解できないですねーということ。

まあ相変わらず独善的かつ非社会的な感が否めない
言い回しにばかりなってしまうのだけれど、
ぶっちゃけ、この世界における
対岸の火事に投石器でパイを投げつけるような風潮は
あまりにも異常だと思わないか?
人間ってやつは、そんなに叩く対象が欲しいものかね。

これまでに学生だか社会人だかリアルで
運悪くそういったものを目にしてしまった人間なら言うに及ばず、
ニュースサイトやどこぞのブログのコメント欄にしても
おいおいちょっとお前ら落ち着けやりすぎだ、って
そう思ったりするのは僕だけじゃないだろ。

思えば消防の頃からずーっと遺憾だったんだ。
どいつもこいつもはみ出し者を叩きたがる。
まあ、叩きたいと思ったことのない僕の方が
生き物として欠陥品かもしれないとか考えてた時期もありました。

『叩く者』と『叩かざる者』、はたまた『努めて叩かざる者』、
いずれが多数派なのかは判断に苦しむけれども、
少なくとも僕自身がこれまでいい止まり木だったと言える場所は、
例外なく後者が圧倒的に多い環境だったわけで。

ともあれ、電子の海の辺境に集う同志諸君ならばあるいは
何割かはこのバロックを共有できるのではないかと思っている。

以上。
 ええ、そうですね。
もし可能ならば迷うことなく戻るでしょう。

戻りたいというか、返りたいといった方がいいかもしれません。

いえ、別にやり直せると思っているわけでも、
やり直したいわけでもないです。
ただ、もう一度あの時のあの場所であの空気を吸いたい。
端的に言えばそういうことになります。

確かに、そういう意味では四年前のあの場所は
私にとって特別だったんだと思いますよ。
とてもお気に入りだった止まり木とでも。

量的なものに過ぎないと言えばそれまでですし、
かといって代えが効かないといえばどれも同じです。

躊躇はありませんでしたね。
いや、名残惜しさのようなものはあるんでしょうが
余人のそれと比べると遥かに微々たるものだと思います。
良くも悪くもそれは仕方ないんですよ、
冷たいと言われようが脳内物質のレベルでそういう人間なんで。

今後ですか、まあどうなるかは分かりませんが、
また新しい止まり木を転々としてるんじゃないですかね。
あれほどのものにはもう二度と出会えないとしても。

ないですよ、そんなもの。
ただそれでももし願いが一つだけ叶うというなら、
私自身が止まり木の根元になれたらいいなあ、とか。
可笑しいですよね、私のような人間がそんなことを言うなんて。

ああ、無理なことは承知してますよ。
少なくともこんな浮ついた、地に足の着いていないうちは。
なまじ形だけでもできたところでそう長くは持たないでしょう。
でも、どうなるか分からないってのはそういった意味もあります。
たとえ確率が限りなく低くても、夢は見るだけタダじゃないですかね。

えっと、もうよろしいんですか?
こちらこそ、自分を見つめ直すいい機会になりました。
たまにはこういう話も悪くないですね。
お疲れ様でした、それでは。
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