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いあ、いあ、はすたあ! くふあやく、ぶるぐとむ、ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ!
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 今更だけど、僕はつくづく
集団というものに向いていない性格なんだと思う。

それは、単に他人に認められる自信がないからとか、
厨二病だからとか、天邪鬼だからとか、
そういうへそまがりの変ちくりんな理由だけじゃなくて、
単純に周りの人間とうまく感情を共有できないっていう欠陥を
生まれながらに背負っているせいなのかもしれない。

ふとした拍子に思い出したのは小学生の頃、
部活動の大会で先輩達が優勝した時
みんながなんで泣いてるのかさっぱりわからなくて
一人呆然とその場に立ち尽くしていたこと。

夏休みを返上してまで練習に明け暮れて
栄冠を勝ち取ったのは先輩達であって、
別に僕らがこれといって何かをしたわけじゃない。
だのに、なんで僕と同じ立場である同級生達までが
一緒になって顔を真っ赤にして泣きじゃくってるんだか。

ついさっきまで先生の陰口だとか、
他愛もないおしゃべりを交わしていた隣の子が
なんだか急に遠い世界の住人みたいに感じられた。

早生まれだったし、
僕だけ周りより精神的に幼いって話で説明がつけばいいんだけど、
それからも度々何かの行事があるたびに同じような心地になって、
俗に言う集団行動がどうしたって億劫だった。

遠足では家が近いって理由で勝手に帰るし、
運動会では自分の種目だけ出て、
それ以外の時間は一人でこっそり教室に帰って休んでいた。
集合写真なんかも大嫌いで、卒業アルバムに写る僕の姿は
いつも古ぼけたネイティブアメリカンの土産物みたいな表情で目を伏せていて。
まあ、そもそもアルバムなんて手元に残してないんだけど。


とはいえ、そんな僕もそう遠くない未来、
とある恩師の本当に些細な気遣いが切欠で
油汚れに某関西弁のキッチン洗剤を垂らしたかのように
瞬く間にあっさりと集団に溶け込み、
それだけでは飽き足らず止まることなく増長を繰り返した結果
性格も言動も見た目さえも痛さを通り越して熱を帯びていき
それはそれで集団から浮いてしまう羽目になるのだけれど、
話すと長くなりそうだし痛いし恥ずかしいので
今日はこのへんで。
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 「やっぱり王道ストーリーの方が見てて楽しいかも
何より安心して見られるよ」

かつて、各期のアニメのほぼ全てを視聴し
その全てに対して毎日のようにレビューを書いていた
自他共に求めるガチアニオタの友人が、
ふとそんな一言を漏らしていたのを思い出した。

その頃の僕はというと、
ちょうどキャラ萌え一辺倒のアイドル志向にはやや食傷気味で、
人が木の実から生まれてキリンが王を選ぶような一風変わった世界観やら
裏切りと嘘が交錯し複雑怪奇に絡み合う展開やら、
タダでは終わらないエピローグ後のどんでん返しやらが大好物っていう
生き馬の目で飛ぶ鳥を睨み殺す勢いの
末期型厨二病真っ盛りだったものだから、
僕なんかよりずっとその道の玄人であろうはずの友人の言葉が
少し意外に感じられたように思う。

いや、そもそもがどういった要素を重視し、
作品をどの角度から鑑賞するかというだけの「違い」であって
玄人か素人かなどという一次元的な階級意識自体がナンセンスなのだけれども。

ちなみに知る人ぞ知るイキューズの術式理論を構築したのも
大体この時期だったりするのだけれど、それはまた別のお話。

でまあ、あれから何年経っただろうか。
西から上ったお日様が東へ沈むような大事件もなく月日は巡り、
僕もまたネット配信というものに触れたりして、
当時のあの人の足元にも及ばないくらい気まぐれかつ不定期に
レビューのようなものを書く立場にもなってみて、
ようやく冒頭の格言が「言葉」でなく「心」で理解できた。

今期、あれだけ大量のアニメを見始めて、
最終的に継続して見続けているのが
伝説の勇者の伝説とフェアリーテイルだけというのは、
やっぱりそういうことなんだろう。

原点回帰といえばそうなのかもしれないし、
二週目といえないこともなさそうだけれど、
とにかく、先の展開が容易にイメージできるということが、
ある種の安心感をもたらし、ひいては最近とみに重たい視聴ボタンを
幾分軽くしているというのはほぼ間違いない。

それはアニメだけに限ったことじゃなく、
ゲームの世界においてもひたすら顕著だ。
流石にレトロリメイクの流れにまでは乗れないが、
ディスク黎明期に隆盛を極めたタイトルや、
最近の話ではICOやワンダのHDリメイクなんかには
やはり心惹かれるものがある。

逆に、ゲームの携帯機化やメディアの3D化には
徐々についていけなくなりつつあるような気がして
文化人としての自分のあり方にどこか一抹の焦燥を覚える。
まあ、配信者だってのもあるかもしんないけど。

こらそこ、歳かとか言わない。
 可能ならば、一日の大半を静寂の中で過ごしたい。

静寂といっても、
自分の心臓の音が聞こえるくらいなんて贅沢は言わない。
ただ、人為的っていうか、
不規則で突発的な物音がほとんどしないところに居たいと思う。

携帯はいつだってマナーモード。
目覚まし時計なんて一年以上使ってない。
インターホンにはタオルを詰めて極力音が出ないようにしてある。

誰かの声や、他人の立てる物音を聞くのも苦手だし、
反対に自分の音を誰かに聞かれるのだって嫌だ。
ゲームの音がヘッドホンから外に漏れてないかすごく気になるし、
周りにある音がどういう理由でどこから出てるのか
一々把握してないと落ち着かない。

僕がそういう風になったのは
一人暮らしを始めてから今までのごく最近のことかもしれないし、
あるいは、それ以前のずっと小さな頃からそうだったのかもしれない。

ただ、とりわけ僕が拒否反応を示すのが
突き上がってくるような低音や
大型車両のエンジン音などであることを考えると
それはやっぱり・・・。

先日、環境音を生成するソフトを見つけた。
これで少しは気が紛れればいいんだけど。
 先日、少し人気のない場所まで遠出する用事があったので、
本当に久しぶりに屋外でマスクとサングラスを外してみた。
ああ、それとフードも。

まず最初に感じたのは匂い。
空気ってここまで強い匂いがするものだったかな・・・。
外気特有の乾いたクルミのようなちょっと香ばしいのをベースに、
アスファルトに染み付いたゴムの香り、
どこから流れてくるのかスギの樹皮の香りが少しだけ、
それから、石鹸のような甘い香りもする。

昨夜の献立が焼き魚だった家はすぐ分かってしまう。
いい塩梅に焦げた匂いがしばらくずっと染み付いているから。

一箇所だけ、むせ返るように濃いスープの匂いが漂う場所があった。
ラーメン屋か、大衆食堂か・・・
いずれにせよこんな時間にやってるなんて珍しい。
前を通ると、そこだけ空気が湿っていて暖かい・・・ていうか、ぬるい。

普段は、目深に被ったフードを無遠慮に剥ぎ取ろうとする
厄介で煩わしいものの一つでしかない風も、今日は機嫌が良いみたいだ。
緩やかに僕の髪を弄び、露になった首筋や頬を撫でてくれる。

それから、色。
街灯のせいもあるけれど、夜中だというのにやたらと明るくて、
薄暗い紫色に塗り潰されていた世界が、
こんなにも鮮やかだったことを知る。
いや、思い出しただけか。

音は・・・あんまり変わらないかも。
遠くを走る車の音とかは幽かに響いてくるけれど、
僕の好きな音を聴くにはもっと自然に近い場所に行かないと駄目みたいだ。

見たことのない町の、誰もいない小さな公園で、
僕は一人ブランコを濃いでみる。

昔から僕はこの単調な振り子運動が好きだった。
大抵近くに誰かが居るから学校ではあまりやらなかったけれど、
家に帰ってからは昼夜を問わず
庭でブランコを濃いでばかりいたかもしれない。

ああ・・・そういえば、うちの庭にはブランコがあったんだ。
公園で日暮れを過ぎても延々とブランコを漕ぎ続ける僕を
見かねて祖父が作ってくれたものだ。

木製だから公園のものほどしっかりした造りじゃないものの、
操縦席(祖父がそう呼んでいたのだ)が特別製で
長時間座っていても腰が痛くならない。

僕はもう帰ることはないだろうけれど、
あれはまだあの場所にあるだろうか。
 最近知ったことなんだけれど・・・
どうやら見栄っ張りっていうのは
たとえ死んでも化けても生まれ変わっても治ることのない
馬鹿よりもタチの悪い不治の病のようなものらしい。

そもそも見栄を張るというのは
一言でいえばやせ我慢をするということであり、
つまるところそれは、実質以上に自分を高く優秀に見せることで
絶えず燻り続ける劣等感を払拭しようという試みの一つに過ぎない。

少なくとも僕にとっては・・・。

で・・・まあ、
この底のない谷に聳え立つ石柱の装飾に無理矢理足を掛けて
いつ果てるともない悠久の時を一人ぼっちで佇むなんていう、
故も理屈も大義名分も定かではない
摩訶不思議かつ意味不明な奇行に走らざるを得なくなったのも、
その病魔をひたすら放置どころか助長すらさせてまで
のさばらせ続けた報いだというのだろうか。

言うまでもないと思うけど、正直死ぬほどおっかない。
気を抜くと足が竦んで立っているのか座っているのかも分からなくなる。
今にもその場に崩れ落ちたい衝動に駆られるも、
僕にとってそのような醜態を晒すのは許されざることであり、
そもそもこの足場というにはあまりにも頼りない出っ張りが、
それを許容するだけの懐の広さを持ち合わせていないことは
火を見るより明らかというものだろう。

僕の佇む石柱から深い谷底を挟んで
少しばかり離れた高台広場に目をやると、
そこでは我らが同志を含む雲合霧集の者達が、
飲めや食えやのドンチャン騒ぎを楽しんでいた。

・・・はて、僕らは何でまたこんなところで宴なんて開いているんだろう?
年に何回こういった席を設けているかは
いちいち覚えていないので定かではない。
まあ、僕らにとっては楽しければいいという理由だけで十分なのだけれど。

かく言う僕だって別に楽しんでいないわけじゃなく、
ただ単に自分が輪の中に入ってどうこうするよりは
こういう場所からしみじみと眺めてる方が好きなんだから仕方がない。

ただ、少し見栄を張りすぎて文字通りの立ち位置を間違えた、それだけの話。
今回ばっかしはそれが致命的すぎる気もするんだけど、まあ愛嬌愛嬌。
実際こういうポジションは多少奇行じみてるくらいで丁度いいんだよ。

ところで、宴の輪からやや離れたところに立っている
白い着物姿の人影がさっきから気になるんだけどあれは一体何なんだ?
岸壁に生えた細い柳の枝に引っかかった
これまた白い円盤のようなものをじっと眺めているみたいだけれど。

「あのー、それとってくださいー」

白い人影はこちらに気づくや否や、そんなことを言ってきた。
見かけによらず人使いの荒い子だなあ。
ま、頼まれちゃ仕方ない、この僕が一肌脱いでやろうじゃないか。

本当は慎重に這って進みたくて仕方ないけれど、
努めて平然と、溝に足を引っ掛けるようにして歩いていく。

ああ、気失いそう・・・。

「怖くないんですか? 危ないのに」

「いやいや、うちも一応妖怪だし、死にゃしないって」

もちろん大見栄もいいとこだ。
この高さに加えて谷間を吹き抜ける風も強く、
ほんの少し足を滑らせただけでタダじゃ済まない。

自分の生命力がどの程度かなんて把握してないし、
それを身を持って実況検分するつもりも更々ない。

円盤が引っかかってる崖までは少し距離がある。
変に脚力を上乗せすると危なっかしいので、
意識を集中して、念動制御だけで跳ぶ。

重力加速度を無視した等速運動で円盤を回収し
依頼人に渡してやったところで、
僕はようやく、その存在に覚えがあることに気づいた。

ああ・・・この子は確か、長の縁者の。

その子は、僕らが身を置くこの小社会、
すなわち今まさにこの広場で勝手気ままに過ごす魑魅魍魎どもの中で、
最も表舞台に立つ存在としての地位を確立している
いわばの偶像のような存在だった。
名前は何といったか・・・。

言うまでもなく僕とは対極に位置する人種で、
決して関わることもましてや迎合することも
ないと思ったのだけれど・・・。

ともあれ、今日は疲れたし
朝まで付き合う気分でもないし
帰ってネトゲでもしよう。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

おまけ:
ところ変わって、自室のコタツでネトゲしていたら
隣で見知らぬニィちゃんがBLアニメ見てたでござるの巻。

僕「君は祭り行かないの?」

人「・・・」

僕「なあ・・・」

人「・・・」

僕「何なんだよこの距離感はッ!?」

人「いや・・・今アニメ見てるんで」

僕「ちなみにそのタイトルの○○○とは××××××の略だ。
BLというカテゴリーに属するが、
少なくともアニメにおいては直接的な描写はない」

人「流石、詳しいっすなあ」

僕「まあでも、それ結構面白いだろ?」

人「面白いな。二度と見ないけど」

・・・ていうか、何で居るんだろうこの人。
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