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 あれはまだ僕が祖父母の家に入り浸って本ばかり読んでいた頃。
とりわけお気に入りというほどでもないけれど、
独特の色彩の強さで嫌に印象に残る絵本があった。

内容は確か、文字を覚えたイモムシ達が次第に意味のある言葉を紡いでいく、
うろ覚えだけれど、そんな感じのストーリーだったと思う。

それ自体はいいんだ。
指でつついたらむにむにしてそうなイモムシが、
ころころと楽しげに文字を組み合わせる様子なんて
ジグソーパズルみたいで面白いと思ってた。

ただ、そんな風にして自由に言葉を作って遊んでいるところへ、
物語の後半で、ひょっこり出てきた誰かさんが言ったんだ。
「もっとためになる言葉を作ってみんなに伝えなさい」
って。

まあその言葉ってのがまさしく絵に描いたような世界平和を掲げるスローガンで、
作者の思想や時代背景みたいなものも深く関わってるんだろうけどね。
ただ、僕はどうしてか、いつまでもどこまでも
その助言をしたキャラクターが気持ち悪くて、腹立たしくて、
ちっとも好きになれなかった。

いや、待って、違うのさ。
ステレオタイプの平和主義に対して虫が好かないっていう意味じゃない。
それは相談を持ちかけた周囲の大人たちにも
大いに誤解されたところではあるけれど。

むしろ戦争反対は大いに歓迎。
なんたって当時の僕ときたらテレビの原爆特集を見て
向こう数日間不安で夜も寝付けなくなるなんていう
今からすると考えられないくらい頭と心の弱い子だったから。

そうじゃなくて、そのとき僕が嫌だなーと思ったのは、
ただ単に「もっとためになる言葉」を作るよう促すことが、
すなわちそれまでイモムシ達がやっていた勝手気ままな言葉作りを楽しむことへの
否定のように感じられたからさ。

無駄なことや自分勝手なことは、
そんなに悪いことなのかなって。

考えてみれば僕はそんな子供の頃から、
知識や力をもとにしてそれを何かに役立てようっていう思考パターンを
お気に入りの絵本と一緒にタンスの裏にでも
落っことしてきてしまったみたいなタイプだったわけだ。

それよりもむしろ、先に何かしたいことがあって
そのために何が必要でどうしたらそれが得られるかを考える方が
遥かに分かりやすくてやり甲斐があってエキサイティングだった。

だけどそれでいて、僕の欲求はとてもとても小さくて、
目標を立てるにはあまりにも自我が薄弱で、
少しでも手に入りそうにないものは
いつだって「いらないや別に」で済ませてばかり。
空っぽのくせに頭でっかちで机上の空論ばっか上手くなっていく。

だからなのかどうなのか、
昔っから自我が強くて理想を体現できる人に憧れる。
これまでにも何人か目にしてきたけれど、
彼らはいつだってエネルギッシュで、新しいものに目がなくて、
竜巻みたいに辺りのものを手当たり次第に巻き込んでいく。
時にはそんな彼らの力になりたくて
かっこ悪いの承知で無駄に肩肘張る時だって。

たまに僕自身がそういう存在だと言われることもあるけれど、
僕のこれはそういうのとは根本的に違ってて、
なんていうか上手く言えないけれど、違うんだ。全然。

あれ、結局何が言いたいんだったっけ。

ええと、とりあえず・・・好き勝手やらせろ?
違う・・・なんだっけ? あーもう。
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Comment
無題
幸福の前提条件をひとつ上げるとしたら俺は自由だと思うね。自由がなければいくら平和であっても幸福にはなれないと思う。戦場で自由が幸福かは分からないがね。鬼軍曹の下で無茶な命令を聞くより幸せか。押し付けられた何かに正当性があることは少ないんじゃないかな
NONAME 2011/02/10(Thu)13:13:37 編集
無題
限られた人生の中でヘラヘラと毎日を生きて、そんな日々の中で何も気付けず得られずに、死んでから「人生何も無かった」なんて気付くのも滑稽な話だけどねー。
そんなことよりも絵本を与えてくれたり素敵なものに出会わせてくれる人が
今いないことがとてつもなく悲しいわ。
NONAME 2011/02/10(Thu)17:44:40 編集
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