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いあ、いあ、はすたあ! くふあやく、ぶるぐとむ、ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ!
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 犬で言えばポチにコロ、猫ならタマ、
ありふれたニックネームの代名詞ともとれる掲題だけれど、
流しそうめんのように細くて長い僕の人生の中で
その名を冠する存在はたった一人だけだ。

それはまだ僕が王都のそれなりに閑静な住宅街に住んでいた頃。

大平原の遊牧民にすら勝るとも劣らない転居の回数を誇る
いささか無駄に波の多い幼少期を過ごしていた僕は、
お世辞にも社交的と呼べるような性格じゃなかったように思う。

とはいえ所詮は都の周囲を転々としているだけだから
これといって大きな変化もなく、
ものの数週間もすれば落ち着くであろう周囲の好奇の視線にも
それなりに慣れていたつもりだった。
もしかすると子供なりに気疲れのようなものも
あったりしたのかもしれないけどね。

まあ、数年後にそれまでとは比べ物にならない戦時疎開並の環境の変化と
それに伴う壮絶なカルチャーショックが控えているのだけれど、
それはまた別のお話。

さて、例のごとく順風満帆とまで言えるかどうかはともかく
1ブロックほど離れた最寄の肉屋へのお遣いも含め
それなりに新しい住居にも適応し始めていたところなのだけれど、
ただ一つ、なんとしても許容し難い問題があった。

というのも、当時のご近所ネットワークを構成する
物理的にも年齢的にも文字通り「小さな」市民達の間では、
どこでどう間違ってそうなったのか全くもって理解不能なことに、
他人の耳に息を吹きかける行為が爆発的に流行していたのだ。

たかが子供の遊びと侮るなかれ。
時に音も無く背後から忍び寄り、また時に会話の最中に唐突に、
ありとあらゆる手練手管を駆使して四方八方から迫り来るそれは
ただでさえ物理的接触に過剰反応する厄介な特性を持つ僕にとって
かなり冗談じゃなく苦痛だったのだよ。いやマジで。

今でこそ過敏すぎたと反省するところはあるものの、
当時、息一つで悲鳴を上げて逃げ惑うその姿は、
大都会という鋼鉄の密林の中で狩猟本能を持て余す若き猛獣達にとって
吹けば飛ぶタンポポの綿毛など比べ物にならないほどの
格好の暇つぶしになったに違いない。

中でも先陣を切って最も頻繁に最も狡猾な手法で
最も力強く息を吹きかけてくる迷惑なクソガキ、
それがトシ君だった。

とはいっても、ただのガキ大将ってわけじゃない。
どちらかっていうと早熟で子供ながらに要領が良く
優等生とはまたちょっと違う形で大人受けもするようなタイプ。

当然、それは僕の親なんかも例外じゃなくて、
トシ君に任せておけば安心ねーとでも言わんばかりの、
まるでどこぞのホームコメディにレギュラー出演してる
しっかり者の幼馴染みたいな扱いだった。

かく言う僕も、そこまでしょっちゅうってわけでもないけれど、
なんだかんだで金魚のあれみたいに付いて回ることもあったし。
散々いじくり回されて逃げ分かれても
次会うときには上手いこと宥めすかされて許してるし。
っていうか僕も僕だな。昔からそういうとこは変わってない。

そんなある日、トシ君は僕を他の仲間達の下へと誘った。
今思えば一人になりがちの僕を不憫に思ったのかもしれないけれど、
だとすれば、それは余計なお世話だと言いたい。
なぜならただ僕は極端にマイペースかつ世情に疎いだけで、
仲間はずれにされてるとか寂しがってるとかじゃなく
そんな所属組織の斡旋のような真似をされても
対応に困るっていうか勘弁してください。
ひとたび足を踏み入れようものなら四面楚歌もいいところ。
たちまち僕の両耳は悪意の吐息に晒され、
やがて物言わぬ抜け殻と成り果てるは自明の理。

「大丈夫だって、今日は絶対やらねーから!」

絶対やらないと言われるともはや絶望しか湧いてこない。
十数年後の未来で俗にフリやフラグなどと呼ばれるその概念を
年端も行かない幼子の時点で体得していたというのは、
良く言えば粋、悪く言えばただの悪戯好きな
周囲の大人達の教育の賜物かもしれない。
いや、きっとそうだ。そうに違いない。

そもそも仮に君がフーフーしないとしても、
他の連中がフーフーしないとは限らないじゃないか。
っていうか、それ以外にも頬つねったり髪ひっぱったり
くすぐったりも全部アウトだぞそこんとこ分かってんのか?

おそらくそのような内容のことを散々わめき立てたと思う。

そして、断固とした態度で拒絶の意志を示す僕に対し、
この近年稀に見るお節介なクソガキは
次の瞬間とんでもないことを口にした。



「俺が守ってやるから!」



それは、長い長い時の狭間に埋もれた、黒歴史。

おそらく口にした本人ですら
これっぽちも覚えていないであろう、黒歴史。

後日、そのことを親に話したとき
本物の大爆笑というものを生まれて初めて目の当たりにしたことも、
今では良い黒歴史。

ああ黒歴史・・・。
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 とある休日の昼下がり、
置きぬけのぼんやりした頭にけたたましい騒ぎ声が飛び込んできた。

徐々に意識がハッキリしてくるにつれて、
すぐにそれが隣接した建物の住人のものだと分かる。

少しだけ窓を開けようとしたのだけれど、
長いこと動かしていないせいか
真夏に放置したグミみたいにレールにぺったりくっついていて、
思ったより力が要る。

肩越しに構えた手のひらでえいっと押すと、
ミリ単位で開けるつもりが勢い余って十数センチくらい開いてしまった。
容赦なく差し込んできた外の光が暗闇に慣れた網膜を焦がし、
続いて晩秋のひんやりとした風が、
ドロドロに固まっていた部屋の空気をかき混ぜる。

僕の部屋から相手方の窓までは僅か1mほどの距離もなく
幸いにも向こうは格子状に重ねられた網入りの板ガラスだったため
こちらの姿が見られることはない。
同時に向こうの様子を直接見ることもできないが。

「この洗濯機いいじゃん、いくらしたの?」

低く、それでいて重苦しさのない、
テンポの安定した声が一際大きく響く。

ほんの少しだが、その声は旧き友人の一人によく似ていた。
もちろん、本人がこんなところに居るわけはないのだけれど。

会話の内容から察するに、
久々に会う仲の良い友人が家を訪ねてきたといったところだろう。

コトリと何かを取り出す音、それから石鹸の甘い香り。

胸の奥がトクンと微かに震える。

僕は静寂を尊ぶ。人の声も足音も息遣いさえも好きじゃない。
けれども、意味のある情報として受け取ることができれば、
それは心の深いところに出来た隙間をほんの少し埋めてくれたりもする。

ああ、そういえば僕は昔からこういうところがあったかもしれない。

とりわけ学校の帰りが遅くなった時なんか、
街灯の下に背を預け、民家から漏れる明かりをぼんやりと眺めては
見知らぬ誰かの談笑する声に聞き入っていた。

決して自分自身が満たされていなかったってわけじゃない、と思う。
少なくともあの頃は。

ただ、何とも形容しがたいのだけれど、
例えるなら水面に浮かぶロウソクの灯のようなキラキラしていて暖かい、
『ここではないどこか』が確かにそこにあるような気がして。

自分が関わること以外には
呆れるくらいプラス思考なのに、ね。
 やっぱやめた、やっぱ行かない、と言いつつ、
結局のらりくらりと今年も駒沢くんだりまで足を運んでしまいまして候。

本日はお日柄もよくどこぞの次世代型猫型ロボットが
不思議なポッケで光化学スモッグの層をぶち抜きやがりましたみたいに
パッサパッサの秋晴れですねいやはや注意一秒怪我一生、
つまり要約すると日焼け止めを忘れるな。

駒沢大学駅を降りてから奈良の大仏十歩分くらい歩くと、
程なくして並木の中に鎮座ましましたる馬鹿でかいすり鉢状の建造物と、
五重塔のコンクリート版みたいなのがニョキっと伸びてるのが目に付きます。


101105_132958hds.jpg

さて、どういうわけか見ての通り昨年より遥かに人数多いです。
わざわざ平日狙いで来たってのにこりゃあ何ということでしょう。
老若男女、十人十色、王様姫様豚乞食、ってやべ年バレる。

なんか今年はゴスロリさんっぽいのや着ぐるみなんかも居て、
人ごみは人ごみでもよく訓練された人ごみでした。フゥハハー。
仕舞いには遊歩道をガチャピンがJKと手を繋いで歩いている始末。
待つんだアミーゴ、名残惜しいのは分かるが
ハロウィンはもうとっくに終わったんだぜ?

ていうか、僕はラーメンを食べに来たはずなんだけれども、
これじゃちょっと服装が地味だったかにゃー?
まあ、とはいえまかり間違って牛で出撃しようものなら、
ダンボールを被った自称伝説の傭兵が
一個小隊ほど群れをなして後をつけてきそうなので決してやりませぬが。
いや流石にそりゃ自意識過剰じゃなイカ。


101105_133345hds.jpg

チケット売り場はかなり奥にあって、
その上反対側から回らないと入れないっていう
昨年よりわかりづらい形になっています。

チケットは4枚まとめ買いとバラ買いで列が分かれてて、
当然のごとく4枚列はガラガラ。
もう昨年よりあからさまに運営が調子こいてます。
チケットの列に並んだ上で、ラーメンの列に並ぶ二重苦。
こんなとこ来るのはよほどの物好きだと思うんだ。
ていうか前自販機だったじゃん! 人件費の無駄じゃん!
事業仕分けの波に乗れ。


101105_135546hds.jpg

とりあえず来る前から目をつけてた
場内でも数少ない塩ラーメンから召し上がることに。
資金もカツカツなので今年はこれと適当なの一杯で済ます予定。
コラボ系は混んでるし別にいいや。

「沢山並んでるなー」

「私塩ラーメンが好きなんだー」

種子島のごとく3列体制でチャージ&リリースされる待ち行列にて、
宵越しのお腹と背中がぴったんこ感を持て余していたところ、
背後からそんな会話が耳に飛び込んでくる。

ほほう、何かと思えば同志ではありませぬか。
かく言う僕もかの流浪の旅の折に地の果てで口にして以来、
塩ラーメンに目がなくてね。

まあ、十中八九この中のほとんど全ての人間が
塩ラーメンという理由だけで並んでいるのではなかろうかと思うけれども。

果たして如何なる相の人物やらと、
そろりと隣の列を見る振りをして拝見いたしますれば、
あわや汝はオシャレ人間なりや!? ひーっなんまんだぶっ!!!

「チャーシュープラス200円だってさー」

この上さらにトッピングとな!?
げに恐ろしき、流石オシャレ人間はやることが違う。

こんなこともあろうかと懐に忍ばせておいた十万三千冊の魔道書で
通称LN(ライトノベル)フィールドを展開し、
どうにかオシャレ人間のプレッシャーを凌ぎ切った僕は、
お手々とベロがキャッツな人達への配慮を伺わせる心地よい温度の丼を両手で支え、
蝶のごとき足取りでふわりふわりとその場を後にするのでありました。
上条さんに感謝しなくちゃなりませんね。


101105_142745hds.jpg

場内に点在する仮設食堂はどこも人でごった返していて、
人一人も座れないってこたないけど
必ず誰かと向き合ったり隣り合ったりしなくちゃならない状態。
とてもじゃないけど去年みたいに居眠りこいたりはできそうにないなあ。


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外れの大階段にも人がびっしり座ってて
そもそもこんな日当たりのいい場所で食べたら先週の二の舞です。

どこか狭くて日陰で人目につかない座れる場所ないかなって
このお祭り騒ぎの中そんなユートピアなんてあるわけないし
仮にあったとしても春先の上野よろしく腰の軽い若衆が
ビニールシート持参で五行結界張ってるはず・・・


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・・・と思ったらあったよ僕のユートピア!


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波々と注がれたスープから漂う芳醇な香り。
発泡スチロール製のフニャフニャと頼りない丼の淵に口先で触れ、
北の至宝とも言うべきその黄金色の液体を
舌に乗せられる程度だけちびちびと啜る。
品がないって言うな、
高い金とっておいてレンゲの一つもつけてくれないのが悪いんだよ。

麺は縮れてて太くもなく細くもなく、
塩にしては味が濃ゆめだけど最後まで飽きずに飲めるのはやっぱりいいね。

ところでこの電脳教団駒沢公園支部兼王都西部侵略前哨基地は
丁度いい感じに薄汚れた看板と樹木に囲まれ
日当たりも悪くジメジメした絶好のポジションだったんだけど、
ただ一つ問題だったのが座る面積が小さすぎて
長時間滞在すると尻が痛いということ。

というわけで、食後の運動がてら
人気のないところへ避難することに。

会場のある東側とはうって変わって公園の西側は人通りもまばらで、
風に乗って流れてくる喧騒だけが祭りの気配を感じさせる。
時折スポーツに興じる若者達が声を上がるけれども、
別にそこまで耳障りじゃないし。
むしろ手を取り肩を抱き合いながら土を踏む愛すべきバカどもを眺めるのは
存外嫌いじゃあないんですよ。ええ、性別問わずね(←ここ重要)。

遊歩道沿いからやや外れたベンチが都合よく空いていたので、
そこでうららかな午後の読書タイムを満喫していたところ、
少し離れたところに同じように腰掛けて談笑する
二人の男女がいらっしゃいました。

「写真っていうのはさ、心が宿るっていうか・・・」

「その六十分間を演じきるのが・・・」

どうも話の内容から、
片や写真を撮り、片や演劇に携わる者であることが容易にわかる。

まあ、僕はどちらもあまり詳しくないからどうでもいいのだけれど、
なんていうか、どちらの言うことも心が剥き出し過ぎて
ぶっちゃけ聞いてて怖かった。

そりゃ比べれば遥かに含蓄もなくて稚拙かもしれないけれど、
僕にもそういうことを臆面もなく語れていた時期があったわけで、
でも今は絶対無理ってことが分かりきってるから、
なんだかいたたまれなくて、早々にその場を立ち去った。

僕らはきっと知恵の木の実を口にしたんだ。

でまあ夕刻を回った頃、
二杯目に選んだのは富良野の中華そば。


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そこ、また北海道かよとか言わない。

『日本一小麦の味がする麺』って謳い文句に惹かれただけあって、
確かに普通のラーメンとはちょっと違うかも。
ていうか、蕎麦だこれ蕎麦。ちょっとスープがこってりした蕎麦。
それでも最近流行りのラーメンにしてはあっさりしてる方だから
気が付けばツヤツヤテカテカした丼ぶりの底とご対面できましたトサ。

いや、汁飲むの当たり前だと思うかもしんないけど、
ほんとここ余程の猛者でないと最後まで飲めないような
もージュルジュルのデュロッデュロなのがあるんですよ。

今年も大人気でしたけれどね、無鉄砲さん。

恐ろしくこってりなのに不思議と何故か美味しくて、
まあ挑戦してもよかったんだけど、
ごめんなさい、僕は今年はお休みします。
ただでさえ弱ってるのにあんなもん飲み干したら死にかねん(・ω・
 本当を言うと、こんな僕にだって話したいことの一つや二つはある。
ほんのちょっぴり変わった生い立ちや過去の話、
親兄弟や友達の話、学生時代の思い出、仕事の苦労話、
地元のちょっとした隠れスポット、
桃色だったり水色だったりする話題だってないわけじゃない。

でも、大手を振ってそういうことを話すには、
僕の場合あまりに欠陥が多すぎる。
とてもじゃないがお天道様の下を歩けるような生き様をしちゃいないから、
穴を指摘されれば返す言葉はなく、
たちまち袋小路に追い詰められてしまう。

そりゃ、誰も万人に誇れるような人生を歩んじゃいないだろうけど、
みんな大概の罵詈雑言は馬耳東風と振り切るエネルギーを持ってるわけで、
でも燃料タンクの底の残りカスだけで動いてるような僕みたいなのが
そういう真似をしようったって土台無理な話。

僕が他人の弱みにつけこんだり
欠点を指摘して貶めたりすることを絶対の禁忌としているのは、
自分が誰よりも最低で卑怯だってことを思い知っているからだ。

考えつく限りのあらゆる罵倒は
これまでに何度も何度も自分に向けて吐き捨ててきた言葉で、
かといってそれで痛みに慣れるようなこともなく、
自ら抉った傷口はどこまでも深く大きく広がっていく。
だからこそその一つ一つを誰かに感づかれ、口にされるのが怖い。

つまりなんというか。
めんどくさいリアルの話は置いといて、
なるべくゲームの中のことで笑ったり怒ったりしていたいのです。
 今更だけど、僕はつくづく
集団というものに向いていない性格なんだと思う。

それは、単に他人に認められる自信がないからとか、
厨二病だからとか、天邪鬼だからとか、
そういうへそまがりの変ちくりんな理由だけじゃなくて、
単純に周りの人間とうまく感情を共有できないっていう欠陥を
生まれながらに背負っているせいなのかもしれない。

ふとした拍子に思い出したのは小学生の頃、
部活動の大会で先輩達が優勝した時
みんながなんで泣いてるのかさっぱりわからなくて
一人呆然とその場に立ち尽くしていたこと。

夏休みを返上してまで練習に明け暮れて
栄冠を勝ち取ったのは先輩達であって、
別に僕らがこれといって何かをしたわけじゃない。
だのに、なんで僕と同じ立場である同級生達までが
一緒になって顔を真っ赤にして泣きじゃくってるんだか。

ついさっきまで先生の陰口だとか、
他愛もないおしゃべりを交わしていた隣の子が
なんだか急に遠い世界の住人みたいに感じられた。

早生まれだったし、
僕だけ周りより精神的に幼いって話で説明がつけばいいんだけど、
それからも度々何かの行事があるたびに同じような心地になって、
俗に言う集団行動がどうしたって億劫だった。

遠足では家が近いって理由で勝手に帰るし、
運動会では自分の種目だけ出て、
それ以外の時間は一人でこっそり教室に帰って休んでいた。
集合写真なんかも大嫌いで、卒業アルバムに写る僕の姿は
いつも古ぼけたネイティブアメリカンの土産物みたいな表情で目を伏せていて。
まあ、そもそもアルバムなんて手元に残してないんだけど。


とはいえ、そんな僕もそう遠くない未来、
とある恩師の本当に些細な気遣いが切欠で
油汚れに某関西弁のキッチン洗剤を垂らしたかのように
瞬く間にあっさりと集団に溶け込み、
それだけでは飽き足らず止まることなく増長を繰り返した結果
性格も言動も見た目さえも痛さを通り越して熱を帯びていき
それはそれで集団から浮いてしまう羽目になるのだけれど、
話すと長くなりそうだし痛いし恥ずかしいので
今日はこのへんで。
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